洗脳は誰にでも起こりうる。


ほとんどの人は、洗脳というのは自分に関係のないことだと思っている。そんなものにかかるわけがないと思っている。
例えば歴史なんかはそうだ。自分の目で見たわけではないのに、「そういうもの」と思い込ませる。もしかしたら関ヶ原の合戦なんてなかったかもしれないし、黒船も来ていないのかもしれない。でもそう信じこまされている。温暖化問題にしても、自分で確認したわけではないけど、なぜか当たり前だと思っている。ひょっとしたら気温なんかあがってなくて何かの陰謀に使われてるだけなのかもしれないのに。一種の洗脳といえると思う。
ほかにも、「確かめたわけじゃないけどどうやら正しいらしい」という例はいくらでもある。というか、世の中のことで自分が知ってるのなんてごくごくわずかなんで、ほぼ全部が該当すると。言い換えれば、誰にも洗脳される余地があるということである。
これがもしも宗教だとしたらどうなるか。ちょっとありえないような教えであっても抵抗なく受け入れられるだろう。そんなバカなと思うような人物でも敬ってしまうだろう。
避けるべき洗脳を完全に避けることは不可能だ。だが、戦中の「日本軍は連戦連勝している」のように、取り返しがつかなくなるのはまずい。避けられるものはなるべく避けなければ。
逆説的ながら、洗脳されないためには、洗脳されるかもしれない・されているかもしれないと自覚していることではないだろうか。自分は大丈夫というやつはその時点で「思い込み」というある種のセルフ洗脳状態にあるから引っ掛かりやすい。常に世の中を疑ってかかれば生きにくくなるのは必至だが、そういう意識を持っているようにはしたい。