相手の話を引き出す賢い質問


組織のトップが何らかの事情でその職を辞するとき、多くの場合では会見というものが行なわれます。その理由は「なぜ辞めるのか?」を説明することにあると思います。安倍前首相のときもみんなまずはじめに「なんで?」と思ったはずです。会見とは本来そのような疑問に答える場なんでしょうけど、しかし、その「何らかの事情」が後ろめたいものである場合、ろくに質疑応答の時間もとられずに一方的に打ち切られてしまうことがあります。
僕の周辺でも最近そういう事態が起こったようで、会見が開かれたようであります。そして、原稿を棒読みして「説明」したのち、一方的に打ち切ろうとしたそうであります。当然、みんな辞職の理由が知りたいのでありますが、当人は取り巻きに守られながらさっさと出て行こうとしている。そこである人が質問したそうです。


「責任追及というのではなく、質問ということでお尋ねしたい。建設的な質問であり、この組織をこれから良くしていくために何をなすべきとお考えか3点ほど、お聞かせ願いたい」

おお、これはいい質問のしかただ。普通なら「なぜやめるのかお尋ねしたい」と聞いてしまうところでしょう。それか、「こんなぐちゃぐちゃな状態にして辞めていくことに対して、どう思ってるか聞かせてほしい」とかでしょう。でもきっと無視されますよね。それを聞かれたくないから打ち切るんだもの。ところがこの質問には、3つ挙げれば解放されるという変な力がはたらいている。実際には3つ挙げないと解放されないってことでもあるんですけど。予想外の質問だったということもあるかもしれません。出て行こうとした当人も足を止め、回答をするそぶりを見せたそうです(ただし、「慎重を期したいので、辞めるまでには話す」という表現にとどまったようですが)

この質問によって、必然的に、自分のやり残したこと、できなかったこと、失敗などを語らざるをえないことになります。「責任追及ではない」としながらもちゃんと責任を追及する質問になっている。こういう人を「賢い」というんだと思う。相手の話を引き出すにはこういう一種のだましテクニックみたいなのが必要なのだなと感じたエピソードでした。