『新聞だって、早いうちから始めた方がいい』


駅で見かけた広告の話だ*1。その広告は、5歳ぐらいの女の子がピアノを弾いている写真に、『新聞だって、早いうちから始めた方がいい』というコピーが添えてあるものだった。


僕が生まれて初めて新聞を読んだのは、確か小学校2年のときだったと思う。当時はJリーグが開幕直後で熱気に満ちていたので、その流れだったんだと思う。新聞の一面には、選手たちの華麗で力強いプレーを封じ込めた写真が大きく載っていた。睡魔に負けて観ることができなかった試合の結果が載っていた。カズとか井原とかジーコとか、僕の知っている名前が載っていた。僕は完全にサッカーにのめりこんでいった。そして、新聞のとりこになっていくのだった。世の中にこんなすごいものがあるのかと驚いた。もしかしたらきっかけはサッカーではなく週刊誌のエッチな広告だったかもしれないが、とにかく当時の自分にとって新聞は宝の山に見えたのだった。しかもそれは毎朝届けられるのだから、それは読むしかないというものである。


やがて僕は、中面にはより詳しい情報があることに気がついた。そこには野球や相撲の写真も載っていた。漢字はほとんどわからないし文章も難しかったが、それでも僕は読みつづけた。スポーツが大好きだったことと、なにより新聞がおもしろかったのだ。内容がスポーツである以上、ある程度はわかったし、続けているうちに理解力も高まっていった。そうなるともっと読みたくなって、ますます新聞に熱中していった。地域面から始まって社会面も読めるようになっていった。大人の新聞を貪るように読み込む息子を親は心配して、小学生新聞を与えてくれるようになった。


新聞というのは習慣が命ではないかと思う。なかなかしみつかないものだと思う。だからこそ、教師たちは口々に「入試に出るぞ」などと言って読ませようとするんだろう。しかしそれを聞いて読み始めたという人はいても、継続できている人は僕のまわりにはいない。いくら社説や天声人語を読めといわれても、客観的に見て僕もあれはかなり意志のいる退屈なものだと思う。それがわかっていても僕が読むのは、習慣だからだ。習慣は、できるまでは本当に大変だが、できてしまえば生活の一部になる。


新聞を読む習慣をつけるためには、子どもの段階でうまく入口に誘導しなければならない。そのためにNIEやら「あらたにす」やら、新聞社が知恵を絞っているのは知っている。でも、まずは「新聞っておもしろいじゃん」と思わせることだ。わざわざ子ども向けのページをつくっている新聞もあるけど、それじゃあたぶん他のページには広がっていかない。新聞は、新聞らしいかたちで、新聞ならではのおもしろい記事を載せればいい。そうすれば、経験上、よくわからないエネルギーを感じ取って食いついてくるのではないかと思う。

*1:1ヶ月以上前だったと思うので、今はもうないかもしれない。