銀メダルは灰色をしているのかもしれない


北京オリンピックまで5カ月をきった。
ラソンの代表もおととい決まった。


昼にテレビ朝日ワイドスクランブルを観ていたら、小出義雄監督が女子マラソンでのメダル予想をしていた。小出監督といえば、先日の名古屋国際マラソン前に、中村友梨香の名前を挙げていたことでその眼に注目が集まっている人である(参考リンク:「Qちゃん最大のライバルは中村 名古屋女子マラソンで小出氏予想」東京中日スポーツ)。監督は、野口みずきが金、土佐礼子が銅、中村友梨香が8位以内入賞か銀とつけていた。まぁ中村の銀というのはリップサービスもあったと思うけど。


それを見てて思ったのは、銀メダルだったら選手はかわいそうだなということだった。


いや、「金・銀」のワンツーフィニッシュだったら全然問題はないのだ。そうではなくて、「銀・銅」だったり「銀」だったりした場合なのだ。その場合、国民は一応選手への労いをこめて「よくがんばったと思います」というようなコメントをするだろうが、金メダルを獲れなかったことで、心のどこかに「がっかり感」が影を落とすんじゃないかと思うのだ。


これが「銅」だと話はちょっと違ってくる。銅だと、世界中の強豪が集い、大気汚染や路面状態など悪条件のもとで、よくぞ粘ってメダルを死守したという印象になるのである。「金を獲れなかったのは残念だけど、メダルは獲れたんだからまぁよくやったよ」となる気がするのである。これは別に期待度の高いマラソンだけに限った話ではない。全く注目されていなかった競技でさらっとメダルを獲ってしまうことがある。それが金ならもちろんバンバン取り上げられるだろうし、銅でもマイナースポーツでよく食い込んだ、って話になる。ところが銀だけは、もっとがんばれば金いけたんじゃないの?ってな気分になってしまう。世界で2番目の栄光というよりは、1番目ではないということになってしまうのだ。勝ったというよりは、負けた色が濃く出てしまうのだ。メディアへの取り上げられ方などは、下手をすると銅メダルの方が扱いがよかったということになる可能性すらある。


あぁ、これは怖い。銀だと、表で称えられて裏でたたかれることがあるなんて。世界2位になってたたかれたららまったもんじゃないよなぁ。すごく失礼な話だが、国民感情から自分の身を守るためには、目指すべきメダルは「金・銅・銀」の順番なのかもしれない。