パスタをスプーンで食べる?/はしとフォークの思いつき


今日の昼食は、コンビニでパスタを買って食べた。レジをやってくれたのは、ちょっとぬぼっとした雰囲気のある高校生ぐらいの女の子。

店員 「あたためますか?」
 「お願いします」
店員 「はい、かしこまりました」

ここまでは普通。問題はその後。

店員 「スプーンはつけておきますか?」
 「え、ええっ、スプーンですか?
   えっと、いらないです」
店員 「え!?、あ、いらないんですか、はい、かしこまりました」


なんなんだこのうろたえぶりは。そりゃあパスタ屋に行ってスプーンがなかったらちょっと嫌だけど、コンビニのパスタはそんな上品に食べないしなぁ。そんなツチノコでも見るような不思議そうな顔しなくてもいいじゃないか。



あたためてもらったパスタは、公園のベンチで食べた。いや、「食べた」という表現はちょっと正しくはないかもしれない。食べようとした、というのがより正確である。


そうなのである。ベンチに腰をおろして食べようとしたのである。食べようとして、パスタを袋から取り出したのである。


・・・ない。


そこにあると思われたフォークが入っていない。やられた。あの子のあの怪訝な顔は、パスタをどうやって食べるのかがわからなかったということのようであった。あたためたパスタは、すぐに食べなくてはいけない。すぐに食べるということは、フォークやはしなどが用意されていなければいけない。もしかするとあの女の子は、僕は近くに自宅があって、そこで食べると思ったのかもしれない。


でもさぁ、スプーンはないだろ、スプーンは。コンビニのパスタははしの方が食べやすいという意見も聞いたことがあるが、スプーンは初めて聞いた。フォークとスプーンを言い間違えた可能性もないではないが・・・。「スプーン『も』つけますか?」だったら丁寧で想像力のある接客だなと思ったかもしれないが、残念ながら今回はそういう言い方はしてくれなかった。


結局、運よくカバンのなかに竹串が2本入っていたので、それをはしのようにして食べた。運がよかったー。







今回の件で思ったのは、はしというのは便利な道具だなーということ。もしも僕がフォークしか使えない人間だったら、またコンビニに戻って行ってフォークをもらうしかなかった。その点、はしの使い方を習得しておくと、適当な棒が2本あればそれでごはんが食べられる。無人島に行ったとして、フォークの代替品を探すのは骨が折れそうであるが、はしならば木の枝を2本折ってくればそれでなんとかなる。木ではなくても、フォーク状のものと棒状のものであれば、棒状のものの方が見つけやすい。米でも肉でも野菜でもそれでこと足りる。唯一汁物など液体をすくうことができないのが欠点であるが、皿に口をつければ飲むことができる(皿があればの話だけど)。


フォークというのは、道具がはじめっから使いやすいかたちをしている。いわば、道具が人間に合わせてくれてるわけだ。それに対してはしは、使い方を覚える訓練がいる。人間が道具に合わせなくてはいけないのである。でもいったん覚えてしまえば、けっこういろんな状況に適応できそう。フォークしか使えない人はフォークしか使えないだろうが、はししか使えない人はたぶんフォークも使えると思う。
日本人が器用ってのはそういう側面もあるのかもしれない。一方で、欧米の文化には、特に準備をしていない人でも共同体に参加できるような、新規参入障壁の低さが見え隠れしているような気がした。まぁ、どっちがいいのかはわからんですけどねー。