服はなぜ高いのか、あるいは、なぜ高くても売れるのか


服は布だ。布は糸だ。
糸も布も、おそらくはそう高価なものではないし、着るのに不自由しない程度の品質のものならば高度な技術もそんなには必要ないだろう。事実、それらの多くは、先進国ではない国々で生産されているはずだ。おかげで、人件費も抑制できる。


服は誰もが着る。
そして、誰かが着ている限り、いや着ていなくても、劣化していく。糸がほつれたり、汚れたり、しわになったり、色が落ちたりする。
劣化する限り、服は売れる。
以前、『経済ってそういうことだったのか』という本の紹介で引用したが、髭剃りメーカー・ジレット筆頭株主であるウォーレン・バフェット(先日「世界一の富豪」になった人です)がこんなことを言っている。

佐藤 なぜ髭剃りを手放さないかと言うと、ジレット筆頭株主アメリカの有名な投資家ウォーレン・バフェットという人が、言ってるんですよ。「寝る前に、今この瞬間にも人々の髭が伸びてると想像すると、安眠できるって(笑)。髭は何があっても伸びますからね。髭剃りビジネスは人が増え続ける限り永遠だと。何か素晴らしいですね、このイメージングが。(p.299)


ネスレの会長はこんな大法則を発見している。

佐藤 やはり多国籍企業ネスレの会長も、日経の記事を読むと、すごいことをイメージして商売のネタを思いつきます。あるとき、「人間は水を飲む」っていう、とんでもない法則を(笑)発見するわけです。(p.317)

服もこれに似ている。人間は服を着るのだ。服を着る限り、服は売れ続ける。


それだけたくさんの人が必要としているということは、需要が大きいということになる。需要が大きくなれば少々価格が高くても売れる。しかしまた、需要が大きいということはたくさん売れるわけで、そうすれば大量生産を可能にするはずで、価格は下げられる。もちろん多品種少量生産だからコストがかかるということは考えられるが、そんなにオシャレじゃなくていいからとにかく安いものを、と思ってる顧客は、僕だけじゃなくそれなりにいるはずである。そういった製品ならば、冒頭で示したように、そもそもそんなにコストのかかる製品とは考えにくい。


ではなぜどこもそれをやらないのか。いや、やっているところはある。ユニクロはやった。しまむらもやっている。無印良品あたりもこれに含まれるだろう。でも、じゃあ文句なしに大成功しているかというと、必ずしもそうとは言い切れない状況にある。それはなぜだ。


値段を下げると、売れるのだ。おそらくは、この、「売れる」ことがいけない。理由は簡単だ。みんなが買うということは、みんなが着るということだ。いくら「そんなにオシャレじゃなくていいからとにかく安いものを」と思っている人でも、街を歩いていてそうやたらめったら同じ服の人に会ったら、そんなにいい気分のしない人が多いんじゃないかと思う。だからなのだ。価格を下げればある時点では爆発的に売れるかもしれないが、やがてそれが街に浸透していくと、売れなくなる。価格が安いと売れなくなるのだ。


きっと世の中の服屋はこれを知っている。値段を下げれば売れてしまってやがて売れなくなる。だから値段を下げない。下げないことで安易に買えないようにして、信頼を守っているのだ。値段を下げないことで逆に売れることもあるのだ。だから服は高いし、また高くても売れるのだ。





そんな仮説を立ててみたのだが、どうだろう。

男が弱くなっているのはなぜか 女が強くなっているのはなぜか


コミックビームの奥村編集長(O村)さんが嘆いている。
どこでといえば、メルマガやビームマンガ大賞(新人賞)の発表ページなどで。
何をといえば、「男が貧弱になっている!」もしくは「女が強くなっている!」もしくは「強いのは女だけになってきてる!」といったことを。


でもそりゃあそうかなぁとも思う。自分も思いっきし貧弱な人間だからいえるんだけど。
だってさ、小さいころから「女の子には優しくしなさい」「女の子にゆずりなさい」とかそんなことばっか言われて育ってきてますからね。
デートに行くにしても、「いつ行きたい?」「どこ行きたい?」「なに食べたい?」「なにして遊びたい?」「なに飲みたい?」という決定権はすべて女の子にゆずることになる。
女の子を対象にしたアンケートなんかを読むと、「オレはこれが食いたい、だから行くぞ」と全部決めてくれて引っ張ってくれる人がいいなんて回答もあるが、決定権をまったく与えられないのもそれはそれで窮屈に感じるんじゃないだろうか(僕のようにゆずり過ぎるのも考えものではあるのだが)。
あるいは、「レディースデイ」なんていう割引サービスもけっこうあって、そりゃあそんなのがあれば女性の方がアクティブに映画館に足を運ぶのは当然だろうという気がする。映画を観に行けば食事もするだろうし、デザート(今はスイーツと呼ぶのかな)も楽しむだろうし、買い物もするだろう。どんどん新しい刺激が入って、どんどんアクティブになっていく。しゃべる話題も増えるだろう。男は口数が減って元気がないように見えるのも必然じゃないかなぁ。


そしてもしかすると、こんなこと言ったら怒られそうだが、ゆずられたり優しくされたりするのが当然という女性もいくらかはいるような気がする。降りる人を押しのけて我さきに電車に乗り込もうとする老人のように。みんながみんなそういうわけじゃないとは思うけど。


つまりだ、男が弱い、もしくは女が強いことの原因は、ちょっと行き過ぎたフェミニズムにあるんじゃないかと思い付いたのだ。




ちやほやされるからつけ上がる。
守られてるから思い切ったことができる。
一方男は攻撃できない。
ますます勢いづく。




うーんやばいな、すごく怒られそうなこと書いてる気がする・・・。
いや、僕が問題にしてるのは「過剰な」フェミニズムなんであって、行き過ぎてなければ優しくするのはまったく問題がないとは思うんです。どの程度なら問題がないとか線引きは難しいですけどね。ただ、もうちょっと男に優しい世の中になってもいいんじゃないかとは思うんですね。
女性差別というのはムカつくことだと想像できますが、だからといって「女性優遇」は男性にとっては「男性差別」ととらえても無理はないのではないか・・・。


現状はちょっと、男女平等な世の中ではない気がします。

エド・はるみの悲劇


エド・はるみが売れている。


それはもう、「飛ぶ鳥をさばく勢い」(by岡村隆史)である。落とすだけでも難しいのに、さらにさばいてしまおうというのだから、とてつもない。
昨年暮れからちょこちょこ見るようにはなっていたが、ブレイクを決定づけたのは、「さんまのまんま新年スペシャル(今田耕司が無名の新人芸人を紹介するコーナー)」に出たことだろう。その後、ウッチャンナンチャンの「イロモネア」や、「爆笑レッドカーペット(たしか優勝していた)」あたりで見かけるようになった記憶がある。


エド・はるみトークは、けっこう聞けるレベルだと思う。さすがに年齢を重ねているだけあって、落ち着いて切り返すことができる人だと思う。演技力もあるから、正統派のストーリーコントをやってもおもしろいと思う。


でも現在、彼女が要求されるのは、「グー」である。登場の際にやるのはまだいいとしても、出演者がみんな彼女に「グー」をやれと振っていく。彼女も、要求されなくとも「グー」をやる。それが今のところは喜ばれる可能性が高いからだ。多くの客は彼女の「グー」が見たいからだ。でも、やればやっただけ、飽きられてしまうのも事実である。きっと彼女も、とりあえず「グー」をやっておけば安心だけど、それが自分の首を絞めているというジレンマは自覚しているだろう。自覚しつつも、しゃべる時間のほとんどは「グー」とそのための前フリで占められている。もったいない。先日ルミネtheよしもとで彼女が出ているコントを観たときも、「グー」にまつわるセリフが多く与えられている一方、他に笑いがとれそうなセリフはあまり用意されていなかった。本当にもったいない。


このままではエド・はるみはつぶされるだけだ。こんなにきちんと基礎ができている人をつぶすのは惜しい。まぁこの人なら声優やナレーションでも十分生き残っていけるような気もするが(グーを使わなければ)。そのためにも、変な色がこれ以上つく前に早く路線を切り替えるべきだ。例えるならそうだな、藤井隆のようにだ。キワモノに突き進む必要はない。もう知名度は得た。これからは正統派でいこう。エド・はるみは「グー」をやらなければおもしろい。

こんな飲み会はイラッとする


「おまえ、今日ぐらいはもっと『ハメ』をはずせよ」とか言われることがあります。
そんなとき、すごく困るんです。
だって普段から『ハメ』なんてはめてないんですもん。
はめてるふりやはずすふりをすることもできなくはありません。
しかし、それがかえって自分への負担になるんです。
宴会という席ではそういうことが求められるんだと理解はしてるけれど、そうはいってもリラックスするための場で緊張したくはありません。
ますます萎縮してしまいます。



「空気読めよ」って言っちゃう人の方が空気読めてないと思うんですけどね。
その発言によって場がしらけてるのになんで気がつかないのか。
まぁ、「空気読めよ」っていう発言は、「自分は空気が読めている」ということが前提になってるわけで、そこらへんから勘違い人間なんだと思うけど。

あったらいいなこんなサイト


突然ですが、僕が日ごろ思っている「あったらいいなこんなサイト」を書き出してみます。



◆いしかわ番付

知ってるひとはすごく「濃く」知ってる、NHK BS2『BSマンガ夜話』内で生まれたことば。
出演者のマンガ家・いしかわじゅんの中での「マンガ家ランキング」を指して、出演者の誰かが命名した(岡田斗司夫だったかな?)。
いしかわが言う「うまい・へた」について、それがどれぐらいのものなのかを直感的に把握するのに役立つ表現である。
僕は番組視聴歴5年ぐらいなのだが、こんなにのちのちまで引っ張られることになるとは思ってなかったので、いしかわ番付をメモしていなかった。
そして、さてメモしようかなと思ったら番組が休止してしまった。


いしかわさんの評価が絶対ではないけれど、マンガ家ランキングの目安にはなるように思えるので、過去のVTR等を所有している誰かにぜひつくってもらいたい。
wikiにしてみんなで情報を持ち寄ってつくってくのもいいかもしれない。
ちなみに現時点で僕が持っているのは、最新シリーズで語られた「五十嵐大介横綱級」という情報だけである。

木多康昭 雑誌・単行本比較サイト

もうひとつマンガ関連。
『幕張』『泣くようぐいす』『平成義民伝説 代表人』など数々の問題作(本当に問題作)を世に送り出してきた木多康昭
彼の最新作『喧嘩商売』(=ヤングマガジン連載中)も当然のごとく問題シーンの連続なのだが、最近はシリアスな格闘マンガの要素が強くなってきている。
木多も大人になったなと思ったものの、単行本を読んで爆笑。
大幅に加筆がされている。
なぜ加筆されてるかといえば、理由はかんたん、「本誌に載せられないから」である。
とにかく危険なシーンの連続なのだ。
しかし惜しむらくは、具体的にどのシーンが加筆されたのかがいまひとつわからないところである(作家によっては、加筆だけ大きくタッチが変わる人もいたりするんだが、この人はコンピュータ処理してるんで判別困難)。
加筆されたということは、載せることができなかったシーンと考えるのが自然である(時間がなかった、ページが足りなかったという可能性ももちろんあるけど)
そういう「線引き」には興味がある。
これはwiki形式がいいんじゃないか。
久米田康治wikiのようなかたちになると、ファンとしてはすごく楽しめる。

◆誕生日情報まとめサイト

有名人の誕生日をまとめたサイトのことではない。
誕生日特典を受けられるお店を一覧にしたサイトがほしいのだ。
どこかレストランとか遊園地とかに行ったりすると、「誕生日の方は○○サービス!」みたいなものを目にすることがある。
そのときには、「よし、誕生日の前になったら思い出そう」と思うのだが、思いだせた試しがない。
僕の記憶力が悪いというのもあるし、あっちこっちでそういうことやってて覚えられないってのもある。
ここはひとつ、まとめてほしい。
恋人の誕生日にどこに連れて行こうか悩んでる人なんか、すごく重宝すると思うんだけどなぁ。
これも、見つけた人がすぐに書き込めるような形式になってると使いやすいかもしれません。

◆僕の今日のおかず

いや別に、今日の弁当を公開しろと言ってるわけではない。
下品だが、要するに、どういうオナニーをしたのかを書き記していくのである。
ネット上のエロ動画を使ったならそのURL、AVをレンタルしてきたならタイトルや女優名、ネット小説ならそのURL、マンガならそのタイトルなどを書き残してほしいのだ。できれば回数などもあるといい。
なんでかというと、ネット上の情報はあまりにもあふれすぎているからだ。
オススメの動画といわれて10本ぐらい紹介されても、ちょっと見きれない。
誰かの体験談ならば、量はおそらく適切だし、なにより「実用性」が保証されている。
自分と似た性的指向をもってる人を見つけられれば、自分で探す手間が軽減できる。
書いた人にしても、備忘録的に残しておくことで、あとで探す手間がなくなる。健康管理にもなるし(ならないか?)
いや、がんばって探した方がうれしいってのはあるんだけどね。


これはブログ向きかなと思う。
営利目的の企業ではなく、普通の一個人にやってほしいなぁ。
そういうブログが集まる場所があると、自分に合ったブログを見つけやすくなって、よりいいかもしれない。

以上4つ、どれかに共感していただけた方には、ぜひつくっていただけると本当にマジで感謝します。

『冒険野郎伝説 アヴァンチュリエ』について

コミックビーム 2008年 04月号 [雑誌]

コミックビーム 2008年 04月号 [雑誌]

月刊コミックビームの4月号を買ってきて、パラパラと読んでみた。
んで、来月2日に単行本が出る『冒険野郎伝説 アヴァンチュリエ』という作品のトビラを目にしたとき、強烈な違和感を覚えた。

「脚本協力:加藤還一」


だ、だれ・・・???????



いや、誰ってだけなら別に珍しいことじゃない。問題は、しばしば「脚本協力」が変わってることなのだ。けっこうしょっちゅう「誰?」ってなるってことなのだ。
自室にある雑誌のバックナンバーを引っ張り出してきて確かめたところ、

BLOODY MONDAY」(2004年12月号)
「おもちゃのマーチ」(2005年9月号)脚本協力:金巻兼一(この回から「AVENTURIER(アヴァンチュリエ)というサブタイトルになる)
「悪魔の楽園」(2007年2月号)脚本協力:竹内利光
「北京2079」(2007年3月号)
「黒い山岳」(2007年4月号)脚本協力:竹内利光
「世界の果てを見た男」(2008年3月号)脚本協力:広田光毅
「グルマン大戦争」(2008年4月号=最新号)脚本協力:加藤還一


なんと今回の加藤還一で4人目だ。謎だ。
ぐぐってみると、加藤以外の3人はアニメの脚本家であることがわかった(加藤は検索結果が出なかったが、おそらく他の3人と同じ職業だろう)。
作者のクリストフ・クリタはアニメーターでもあるというから、その人脈なんだと思う。


にしても、である。なんだか全然無音なのである。どこからも何の声も聞こえてこない(僕の耳が遠いだけか?)。先月までに3人変わってるんだから、もうちょっとみんな「これ誰?」「なんで同じ人じゃないの?」っていう疑問が出てもいいんじゃないか?
まぁ、「ビームを読んでてしかもバックナンバーを取ってあって、この作品を追っかけてて(たぶんそう特大ヒットしてるわけではないと思う)、なおかつ脚本まで注意してて、声を発する人」の数はあんま期待できなさそうですが・・・。
それに加えて、担当の岩井っスの日記でもまったくその話が出てこないってのはなんか理由があるんだろうか。岩井さんなら、

「今回の脚本はだれだれがやってくれたんだけど、この人はクリストフと過去にこれこれのアニメでいっしょに仕事をしてて、その圧倒的なイマジネーションが・・・」

みたいな、その辺りのうんちくをたんと語ってくれそうなものなのになぁ。そうじゃなくても、せめて今日はだれだれと打ち合わせした、ぐらいはありそうなものなのに。「とある関係者」でごまかされてるのだろうか。だとしたらなんのために?別に公表する理由もないってことなのかなぁ。謎だ。気になる。


今日の岩井さんの日記でふれてくれたりしないかなぁ。。。

銀メダルは灰色をしているのかもしれない


北京オリンピックまで5カ月をきった。
ラソンの代表もおととい決まった。


昼にテレビ朝日ワイドスクランブルを観ていたら、小出義雄監督が女子マラソンでのメダル予想をしていた。小出監督といえば、先日の名古屋国際マラソン前に、中村友梨香の名前を挙げていたことでその眼に注目が集まっている人である(参考リンク:「Qちゃん最大のライバルは中村 名古屋女子マラソンで小出氏予想」東京中日スポーツ)。監督は、野口みずきが金、土佐礼子が銅、中村友梨香が8位以内入賞か銀とつけていた。まぁ中村の銀というのはリップサービスもあったと思うけど。


それを見てて思ったのは、銀メダルだったら選手はかわいそうだなということだった。


いや、「金・銀」のワンツーフィニッシュだったら全然問題はないのだ。そうではなくて、「銀・銅」だったり「銀」だったりした場合なのだ。その場合、国民は一応選手への労いをこめて「よくがんばったと思います」というようなコメントをするだろうが、金メダルを獲れなかったことで、心のどこかに「がっかり感」が影を落とすんじゃないかと思うのだ。


これが「銅」だと話はちょっと違ってくる。銅だと、世界中の強豪が集い、大気汚染や路面状態など悪条件のもとで、よくぞ粘ってメダルを死守したという印象になるのである。「金を獲れなかったのは残念だけど、メダルは獲れたんだからまぁよくやったよ」となる気がするのである。これは別に期待度の高いマラソンだけに限った話ではない。全く注目されていなかった競技でさらっとメダルを獲ってしまうことがある。それが金ならもちろんバンバン取り上げられるだろうし、銅でもマイナースポーツでよく食い込んだ、って話になる。ところが銀だけは、もっとがんばれば金いけたんじゃないの?ってな気分になってしまう。世界で2番目の栄光というよりは、1番目ではないということになってしまうのだ。勝ったというよりは、負けた色が濃く出てしまうのだ。メディアへの取り上げられ方などは、下手をすると銅メダルの方が扱いがよかったということになる可能性すらある。


あぁ、これは怖い。銀だと、表で称えられて裏でたたかれることがあるなんて。世界2位になってたたかれたららまったもんじゃないよなぁ。すごく失礼な話だが、国民感情から自分の身を守るためには、目指すべきメダルは「金・銅・銀」の順番なのかもしれない。